指導原理を確立しよう [教師修行]

2年ぶりの更新。

受け持っている学級の9月がスタートし、2週間が経った。

私から見て、
上手くいき始めていること、
まだまだ軌道に乗らないこと、
全然前提が崩れていること、
いろいろとある。

子どもたちから見て、
雰囲気が良いと感じている時、
雰囲気が良くないと感じている時、
自分の思っていることを解放できている時、
解放できていない時、
きっといろいろと感じている。

子どもたちが感じているであろう瞬間瞬間の出来事に対する思いを
より豊かに、
より良い方向に、
運んでいきたい。

そのためには、具体的な行為像を教師が描き、そのために具体的な方針を実行していく必要がある。

今、思考の整理を進めている。

具体的な行為像は、
当たり前のことを当たり前に取り組む姿。

そのために、指導原理の見直しが必要だと考えた。
深澤先生の『鍛え・育てる』を再読する。
一文字ずつ(タイプで)視写していく。
一昨日から取り組み、2万6千字書き、頭に粗く指導原理をインプット。

タイプ打ちしながら、要所要所で止まる箇所がある。
自分の”できていない”点や考え方だ。

たとえば、私の課題の一つに、
”どのように教育活動を展開していく”のか
という具体的な指導法の粗さがある。

事例を挙げるなら、
教室で立ち歩きを繰り返す児童に、
どのような指導をしていくのか、
組織的連携をする前の担任としての指導がしっかりと確立していなかった。

その場で
「座りなさい」
「どうしたの?」
「◯◯くん、これやってくれない?」
といった私として考えうる声掛けや指導で
対応してきた。

いろいろな背景や課題が絡まっており、
「これをしたら、こうなる」
というような指導はないと思っているし、
対応を体系化できないと思っていた。

ただ、生徒指導の問題行動への対応に一定のセオリーがあるのも事実。
これを採用試験の勉強で学ぶ。
私はまだまだメタ認知が弱い。
理論通り対応して収まる、今の子どもたちの様子も見られる。

私は思った。
一定のセオリーを押さえ、目の前の子どもたちに合わせて自分流に変えていくことは必要だと。

だから、深澤先生の指導原理から自分の思考を整理したいと思って、視写している。

何が目の前の子どもたちにはまるか、指導原理があってもすぐに効果を実感することもあれば、そうでないこともある。
指導原理は自分のぶれない指導の軸。

指導の軸をもち、
やり方を変え、
目の前の子どもたちを変える事が、
教師の仕事。

緻密に指導原理をキチッと持ちつつ、
何より自分が子どもたちを的確に見て、
自分自身が楽しみ、
目の前の子どもたちを変えていく。

やるべきことを準備し、
最後は忘れて、
目の前の子どもたちと楽しもう。
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