教師修行 ブログトップ
前の10件 | -

指導原理を確立しよう [教師修行]

2年ぶりの更新。

受け持っている学級の9月がスタートし、2週間が経った。

私から見て、
上手くいき始めていること、
まだまだ軌道に乗らないこと、
全然前提が崩れていること、
いろいろとある。

子どもたちから見て、
雰囲気が良いと感じている時、
雰囲気が良くないと感じている時、
自分の思っていることを解放できている時、
解放できていない時、
きっといろいろと感じている。

子どもたちが感じているであろう瞬間瞬間の出来事に対する思いを
より豊かに、
より良い方向に、
運んでいきたい。

そのためには、具体的な行為像を教師が描き、そのために具体的な方針を実行していく必要がある。

今、思考の整理を進めている。

具体的な行為像は、
当たり前のことを当たり前に取り組む姿。

そのために、指導原理の見直しが必要だと考えた。
深澤先生の『鍛え・育てる』を再読する。
一文字ずつ(タイプで)視写していく。
一昨日から取り組み、2万6千字書き、頭に粗く指導原理をインプット。

タイプ打ちしながら、要所要所で止まる箇所がある。
自分の”できていない”点や考え方だ。

たとえば、私の課題の一つに、
”どのように教育活動を展開していく”のか
という具体的な指導法の粗さがある。

事例を挙げるなら、
教室で立ち歩きを繰り返す児童に、
どのような指導をしていくのか、
組織的連携をする前の担任としての指導がしっかりと確立していなかった。

その場で
「座りなさい」
「どうしたの?」
「◯◯くん、これやってくれない?」
といった私として考えうる声掛けや指導で
対応してきた。

いろいろな背景や課題が絡まっており、
「これをしたら、こうなる」
というような指導はないと思っているし、
対応を体系化できないと思っていた。

ただ、生徒指導の問題行動への対応に一定のセオリーがあるのも事実。
これを採用試験の勉強で学ぶ。
私はまだまだメタ認知が弱い。
理論通り対応して収まる、今の子どもたちの様子も見られる。

私は思った。
一定のセオリーを押さえ、目の前の子どもたちに合わせて自分流に変えていくことは必要だと。

だから、深澤先生の指導原理から自分の思考を整理したいと思って、視写している。

何が目の前の子どもたちにはまるか、指導原理があってもすぐに効果を実感することもあれば、そうでないこともある。
指導原理は自分のぶれない指導の軸。

指導の軸をもち、
やり方を変え、
目の前の子どもたちを変える事が、
教師の仕事。

緻密に指導原理をキチッと持ちつつ、
何より自分が子どもたちを的確に見て、
自分自身が楽しみ、
目の前の子どもたちを変えていく。

やるべきことを準備し、
最後は忘れて、
目の前の子どもたちと楽しもう。
nice!(0)  コメント(0) 

思考しつづける [教師修行]

久しぶりの投稿。

今、比較的時間のあるとき。

思考し続けている。

現在、頭にあるものを出しきり、過去の振り返りに入っている。

成功例
失敗例

いろいろ見える。

無意識の中でふわふわしている悩みが文字化してあるのを見つけると、「いつもこれ、思うんだけど、結局答えが出ないまま今にいたっているんだよなあ」と思う。

具体的には、
ネタ、基礎系、思考
をしっかりと体系化すること。

どうしてもネタに頼っているところがある。
ネタをネタのまま使っているから、そのままの味付けで変わっていないところが問題なのである。
料理人だったら、完全なサボり。

(また、同じことやってる。。。)
と客観的に読んでいる私がいる。

そして、体系化について先ほど触れたが、
どう思考系の授業と結びついているかもあやふやなのである。

私としては、思考系の授業の質が未熟。
そこに主因がある。

がっちり思考系の授業ができれば、ネタもより効果を増すだろう。

これは一例だが、とにかく思考し続けている。

見ると解説 [教師修行]

いろいろと動画を見ている。

私の見る目で見える世界。
感じ取れる世界。
認識できる世界。

解説を聞くと、世界が広がる。深まる。

私と解説の世界に違いがあることは知っている。
だから、学ぶのだ。

どうやったら見えるようになるのか。
自分の認識力をどう働かせたら見えるようになるのか。
感覚的でもいい。
言葉にできなくてもいい。
見えるようになりたい。

一つ言えることは、自分の世界で留まっていては絶対に見えない。

努力と限界 [教師修行]

8割までは努力で行ける。

いや、9割までは行けるだろう。

残りの1割にとてつもない時間と手間、工夫がいる。

残りの1割の世界が見えること。

ただ、いわゆる完璧を目指すということとはニュアンスがちがう氣がする。

うーん、言葉にならない。

評論文はだれでも書ける [教師修行]


評論文はだれでも書ける―評論文指導10のステップ (「分析批評」による国語科授業改革)

評論文はだれでも書ける―評論文指導10のステップ (「分析批評」による国語科授業改革)

  • 作者: 冨山 一美
  • 出版社/メーカー: 明治図書出版
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本



プロットの立て方が分からなかったので、ようやく分かった。
書くことの重要性を最近、自分の身で感じている。
自分の芯を見つける一歩に。

春のうた [教師修行]

草野心平のうたである。

草野心平は「蛙」が出てくる作品がどうしてだか多い。

この作品も蛙が出てくる。

草野心平は既になくなっている。

今回は、草野心平のことについて、また詩のイメージについて研究をしていた。

研究をしていてもなお、まだこの作品の全体像がハッキリとつかめない。

まず、表記についてだが、

調べてみると、

現在の教科書のような「ケルルン クック」カタカナ表記は昭和21年に、「あかとんぼ」という児童詩関係の雑誌に掲載されたものであるという


説がある。

http://wakei.at.webry.info/200806/article_5.html

その他にもこのリンクにはいろいろと指摘してある。

また、「おおきなくも」の「くも」は何なのかという疑問である。

蜘蛛なのか、
雲なのか

ということである。

草野心平氏はご存命ではないため、それをうかがい知ることが難しい。

いろいろな解釈があっていい。

また、表現よみができやすい詩である。

言葉のイメージをもたせながら、子どもたちに読ませていきたい。

http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/gr4harunouta.html

大府にて [教師修行]

焼肉後、大府へ。

F先生に挨拶に行く。

・先生は優しいもん
・まだいろいろと迷われている
・甘い人には本当のことは言わない
・大丈夫な人にだけ厳しい言葉をかける
・先生は誰に憧れるの?
・発信する量なんです
・そこに芯が現れるんです
・1,2、3
・4月・5月で育てる

心を気持ちよくがーんと打たれたような衝撃があった。
自分の体の内側が共鳴していた。

感動というか、痛感したという方が表現は正確である。

会いに行ってよかった。
ありがとうございます。

2013年3月30日 [教師修行]

2013年3月30日

○起床

今日、両親は埼玉へ。


○レポート作成

○出発

○到着

○キャベツの会

レポート検討。
自分は全部で3本。
2本を紹介する。

1つは「元気の出る朝礼(仮)」

もう1つは「ライフヒストリー」

Tさんのレポート検討を行う。

・道徳
・もやもや
・ユニット

○懇親会

○大府へ

本日行われている会に参加する。
F先生に挨拶に行く。

心で感じる。
自分の課題がはっきりとわかる。

その後、25時半までメンバーと語り合う。

刺激→解釈→行動 [教師修行]

講座を受けにいく。

色々なことを教えてもらう。

何も考えがないと、内容について批評しがちだ。

今日、学びになったことは
「教えてもらったことに自分なりの価値・考えを持つこと」

いや、それは分かっていた。
が、すべてにおいてではできていない。

たとえば、

・ピシッ
という姿勢を正す指導言で子どもを褒める。

それを何度も行うたびに、子どもを褒める。
良くなった子を褒める。

『繰り返し』

・繰り返しが大事。
と書くのは見たこと・感じたことを言葉にしているだけ。

それを
・どんな意味があるのか
・自分なら○○と考える
・自分なら●●をする

を書くことが大事。

さらに、
・△△まではできているけど、その先ができない
という自覚があると尚、いい。

T先生のレポートを見て、自分との違いを感じた。

自分は『繰り返すことの重要性』を認識して、『どのように生かすか』を書いた。

しかし、T先生はその価値が自分より3倍書いている。
感度が全然ちがう。

・おっしゃった指導言を写す、書き留める
・価値をつける
これは私にはないこと。

さらに、私が書き留めていないことをT先生は書いている。
つまり、同じ時間を過ごしているはずなのに、学習量がちがう。

とにかく書くこと。
それしかない。
ありがとうございます。

分析批評② [教師修行]

分析批評・評論文と名のつく本棚にある本を読み漁ってます。

井関先生と向山先生との出会い。
向山型の授業。
大森先生の授業。
浜上先生の分析批評のアイテム。
大森学級の評論文。

などなど。

感動だけを教え込もうとしない。
文章から根拠を見つける。
とことん言葉にこだわる。

ボヤ〜っと考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。
まだ鮮明ではない。
前の10件 | - 教師修行 ブログトップ

子どもの可能性を信じ、熱く、でもゆったりと、優しく、でも強く、笑って、でも苦しんで、走って、でも止まってみて、結局自分が伸びた分だけ子どもは伸びるんだ!

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。