鈍感 [教師修行]

クラスが大変な状況は変わらない。

ここでは、詳しくは書けないが、放送禁止レベル(笑)

多少の注意にも子どもたちは敏感に反応する。

注意にも、である。

物を使った手遊びを授業で行っている児童がいる。

それを取り上げただけで、切れてしまう。

物を使って音を立てているので、授業を真面目に受けている人間にとってはいい迷惑。

それを取り上げた。

切れてしまい、問題行動を起こす。

ここから何を観る?
色々な切り口から観れるが。
大事なのは、その後の私の反応である。

それ以上刺激しないように、静止するしかなかった。
まさに立ち尽くしていた。

心の中の感覚がどんどん鈍くなっていく。
問題行動にも質がある。
大したことのない問題行動には許せる自分に変わってきた。
脳みその価値観の変化。脳みその配線が変わったような感覚。

逆に、
普通にやっている子がどれだけありがたいか。
自分からやっている子は神様級の行動をしているように見える。

とにかく、反応である。刺激に対してどう反応するか。
ここが問われている。
排除ではなく、包含である。
言葉ではなく、黙動である。
理屈ではなく、心である。
些細ではなく、大局観である。

まだまだ言葉にできないことがある。
浮かんでは消えて、浮かんでは消えて、その繰り返し。


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子どもの可能性を信じ、熱く、でもゆったりと、優しく、でも強く、笑って、でも苦しんで、走って、でも止まってみて、結局自分が伸びた分だけ子どもは伸びるんだ!

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